母ちゃんのおにぎり

2012.鱒の森No13掲載

昨夏、東北の友人とふたりでイワナ釣りへ出かけた。
毎年、1年に1回の北海道出張のなかで、彼とは1~2日一緒に川へ向かうことが出来る。
 昨年の北海道は連日の猛暑、そして突然の豪雨の繰り返しだったためか、渓流でも本筋は濁りがきついことが多く、
釣り人の多くは回復の早い小沢を目指していた。そのせいか平日の小渓流にも先行者の足跡がクッキリと残っていて、
僕らも大した釣果は得られなかった。

お昼に蕎麦をすすり、午後からはニジマスを狙ったものの、こちらも芳しくない。あきらめた僕らは川から這い上がり、
コンビニのベンチでアイスクリームにありつくことにした。

この店は夏場になると店前にベンチを並べてくれる。そこに竿を立て掛けても地元の人しか来ないからイタズラされる
心配もないし、ウェダーのまま店内で買い物をして、文句や小言をいわれることもない。
むしろ「なんか釣れたかい?」なんて笑顔で声をかけられることのほうが多かったりするくらい。チェーンのコンビニなの
だけれど、中身は昔の商店のままなのだ。

 客がいないことをいいことにベンチを占領した僕ら中年2人組は、キンキンに冷えたアイスにかぶりつき、暑かった1日を
振り返った。イワナのこと、無反応だったニジマスの川のこと、釣り人同士が語りだすと話は尽きない。
目の前のトウキビ屋のおばちゃんの押し売りを笑顔でいなしていると、確かに美味そうだったトウキビが呼び水になったのか、
ふと話題が「好きな食べ物」に移った。

「人生最後だとしたら、食事って何が食べたい?」
僕の突然のふりにチョッとだけ考えた友人は、
「あぁ、やっぱりおにぎりかなぁ?」
「それも母ちゃんがにぎったやつ。マザコン丸出しだけどね」
汗だくの顔を手ぬぐいで拭きながら少し照れくさそうに笑った。
「男なんてみんなマザコンだよ」
と笑い返した僕は、心の中でちょっとだけ友人がうらやましかった。

友人と2人、ベンチに30分以上は座っていただろうか。
このまま十勝へ向かい、翌日からまたニジマスをねらうという彼とは、理想のロッド論なんかを語りながらコンビニ近くの空き地
まで歩き、そこに駐車してあった互いの車で分かれた。
独りになった千歳まで1時間の帰り道「…お袋のおにぎりかぁ」なんて何気なく声に出してみると、いろいろなことが頭の中を回りだした。
この10年、おそらく忘れていたというより、気付かないように心の端っこのほうへ押し込めていたものが一気に噴き出してくる。
このままではまともに運転ができない。僕はパーキングエリアに入り、慌てて色の濃い偏光グラスを掛けた。
歯を食いしばって何とか静止しようとしたけれど、10年分の震えはなかなか止まらない。

2002年、七夕の朝に僕の母は51歳でこの世を去った。急性骨髄性白血病、そう診断されてからわずか半年のことだった。
僕と気の合わなかった頑固な親父が、火葬場の炉に向かう母を見送りながら堪えきれずに泣き崩れたこと。
痛み止めのモルヒネで意識朦朧になりながら、誌面の中の僕を一生懸命に母が目で追っていたこと。
そして、母の記していた闘病日記には、自分の身体のことよりも、父や家族のことを心配することばかりが綴られていたこと。

「なんでもいいから。家のこともいいからさ。何処に行ってもいいから、あんたはあんたの人生を生きなさい。遠慮しなくていいから
好きなことをやりなさい。」病床の母が静かに僕に残してくれた言葉。
 
タガが外れて一気に多くの思いが吹きだした。そしていい加減鼻水が出なくなった頃には、つかえていたものが取れたみたいに
僕はなんだかスッキリしていた。
「母ちゃんがにぎったやつ」
全くそんなふうに言いそうもなかった友人が正直に答えてくれたのには、彼の住む街を襲った震災の影響が少なからず
あるんじゃないだろうかと思った。きっと今多くの人が家族というものを強く感じている。
 
高速を下り家に着く少し前、妻に電話を入れて晩御飯はおにぎりをリクエストした。
おにぎりといっても、我が家のものは手で丸めたものじゃなく俵型の太巻き状だ。
中学生の頃の「具に行くまで遠いし、丸いのは途中で崩れて食べにくい」という息子のワガママに対する母の回答が、
最初から最後まで具と一緒に食べられる、おかか入りで俵型の太い海苔巻きだった。当時から一度たりとも僕の「好きな
食べ物ランキング」第1位から陥落のしたことのない大好物。

 独り暮らしのときは、母の作った濃い味を、塩加減からおかかに垂らす醤油の量まで完璧に再現して自分で作っていたけれど、
今は妻が作ってくれる。その健康志向で少しだけ塩分を控えた俵型おにぎりも、また美味しい。