3つ

2014.鱒の森No23掲載

 10歳も年上の僕の大切な釣友は、知人たちのあいだではルアーの名手として知られている。
無駄を省いたテンポのいいキャストでミノーを撃ち込み、グングン渓流を釣りあがってゆく背中をながめていると、
「放っておくと、この沢の魚をぜんぶ釣ってしまうんじゃないか……」 と心配になるほど次々とイワナたちを掛けてゆく。
ミノーは直結で結びっぱなし。色を変えることも滅多にしない。

 サッカーをこよなく愛する彼は、50を過ぎているのに地元のアマチュアチームに所属し、ボランチというハードなポジションを
こなすほどの健脚。遡行スピードが速いものだから、僕がモタモタしているとあっという間に二つほど上流のブラインドへ消えてゆく。

 ここ北海道の釣りでどこまでも沢を詰められても困るので、雑に釣り飛ばしながら急いで後を追うと、50を過ぎたいいオジサンが
口の周りに白い粉を付けながら大福をほおばり、満足気な表情で僕を待っていた。
「小さいけど釣れるね~。まだ上に行く?」小脇にロッドを挟んだままモグモグと口を動かしながら、この日初めてルアーを結び変えた。

 目的のポイントまで一気に釣り上がり、さんざんイワナと遊んだあとは車で大きく流れを変える。
今度は太い流れのニジマスをねらう予定だ。その道中、パリパリと音がするので助手席に目をやると、
彼はいつしか買い込んでいたコンビニの納豆巻きをせっせと作っている。
「え?納豆巻き?」
「これが美味いんだよ」
僕にしてみれば、そんな痛みやすい食材をこの夏場によくぞチョイスしたものだ、と皮肉を込めて聞いたつもりだったのだけれど、
まるで伝わっていない。
超ポジティブというか……。細かなことは気にしないつくりのこの思考回路も、ある意味、僕は尊敬していたりする。
 移動した先の大きな流れで、今後はタックルを強くしたうえで釣り下った。
僕にスプーンでいいのが掛かり、それを撮影しているうちにあっという間に彼の姿は小さくなった。
「好きに釣らせよう……」
そう思った僕はいったん車に戻り、1kmほど下流のゴール地点に先回りし待ち構えることにした。
 橋の欄干の深みを丹念に探っていると、上流から彼が下りてくる。珍しく転んだのだろうか?バッグとウエアの腰まわりが
グショグショに濡れていて、いつも以上に足取りが早い。先行者がいることを伝え一旦車に戻ることにした。
 
車のハッチに手をかけたタイミングで、「あぁ~食糧がやられた……」という彼の静かな声が聞こえた。
振り返ると、完全に水没したオニギリを2つ手に取り、残念そうな表情をうかべている。
「なんとか大福だけは生き残ったか……」
そう言うと籔に竿を立てかけながら、濡れたバッグの中身を整理し始めた。
「3つも食べ物入れてんの!」と思わず声が出そうになった。たかだが2kmほどの渓流区間なのに、食糧が多すぎやしないだろうか。
 そういえば過去の釣行を思い返しても、彼は車から出る時に、いつも3つくらい何らかの食べ物をカバンにつめこんでいた。
大福、パン、それとオニギリ。
そして車でのポイント移動のたび、減った分はコンビニ袋から補充されていく。ラッコ並みの燃費の悪さだ…。
 そして3つにこだわる理由がわからない。僕なら行きと帰りの分を考えても、2つもあれば満たされるのに。

 その夜の居酒屋、冗談半分で僕は食糧について切り出した。 
「食べ物、持ちすぎじゃない?いくらなんでも3つはいらないかと……」
それに対し、彼は真剣な表情で持論を展開した。
「この3つという数字には明確な意味があるんです。福士も好きだから分かるかもしれないけど、サッカーにおいて
2点差というのはセーフティーじゃないんだよ。ファールでPKを与えてしまえば1点差しかない。そうなると、
いつ同点にされてもおかしくないし、余裕を持った状態では戦えないよね?3点取って初めてセーフティーリードと言えるんだよ」
え、ええ?そりゃそうだけども。
「食糧も同じなんです。もしかすると食べてる途中で落とすかもしれない。今日のように濡らしてしまうこともある。だから3つなんだよ」
言われてみれば、なるほど……か?
それでも、僕はやっぱり2つもあれば充分だよなあ。

腹も満たされ宿に戻る帰り道、燃費が悪く、超ポジティブ思考の彼に、念のため釘だけは刺しておくことにした。
「明日の川は熊のエリアだから、菓子パンだの大福だのは絶対にカバンに入れちゃだめだから」
「あ、そうなんだ。了解~」
熊スプレーと鉈、それと燃費の悪い彼の分を含めた、ゼリー状飲料を4つ。明日はバッグに入れて僕が先行しようと思った。